21代目社長と社員でつくる! 400年の発酵屋ブログ
2024.6.20

「笑顔」と「青源愛」あふれる営業本部長~青源のひとびと~

宇都宮市役所近くの青源本店2階。配合を選べる味噌仕込み教室が開かれています。

スライドを使いながら、味噌の知識を伝授するのは、営業本部長・直営店ゼネラルマネージャーの山越雅之さん(53)。正直な人柄がにじみでる語り口が参加者の笑みを誘い、教室の雰囲気を和ませます。

大豆をつぶす実習。山越さんは呼び掛けました。「みなさまの愛情そのものが微生物に働いて、微生物のちからで、お味噌が造られるんですね」

おいしい味噌になる秘けつ。それは「楽しく造ってもらうこと」。教室に立つ山越さんが一番大切にしているモットーです。

◇    ◇    ◇

山越さんが青源に入社したのは1996年10月、25歳の時。神奈川県内の土木会社を退職し、実家のある栃木に戻ってきた年でした。

同じ年、山越さんは夢を追い、海を渡っています。「大好きなサッカー。その本場を体験したい」。サッカー王国・ブラジルへの留学です。サンパウロから車で2時間の田舎町。現地チームに所属し、約半年間、サッカー漬けの毎日を送りました。

「行って良かった。人生無駄にした、とは思っていない。経験できたから、今がある」。全く分からなかったポルトガル語も、3カ月で簡単な会話ができるようになりました。臨機応変な対応力を身につけることができたといいます。

この時、再就職は白紙の状態でしたが、青源で働く運命は、実は既に決まっていたのかもしれません。

なぜなら。ブラジルを目指し、乗り込んだ高速バス・マロニエ号。道中のおやつにと、JR宇都宮駅売店で何気なく買った味噌キャラメルが、青源の商品だったからです(現在は製造していません)。

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入社後は営業畑を歩んできました。同時に長く務めてきたのが、味噌仕込み教室のアシスタントです。

「入社する前は、白味噌はずっと白、赤味噌はずっと赤だと思っていました。色が変わるなんて思いもよらなかったというのが正直なところです。それが社長の講義を一番近くで聞き続けてきましたから。発酵熟成の原理やメカニズムなどの理解は全く変わりました」

そして、青木社長のお墨付きを得て、2019年に講師デビュー。参加者の目線に立った解説で、手造り味噌のある豊かな暮らしを後押ししています。

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「青源で仕事をして良かったと思うことは?」。そう尋ねると、開口一番、返ってきたのは「かみさんと出会えたこと、ですかね」。育んでいたのは、味噌だけじゃなかった。元同僚の奥さまとのエピソードも、こっそりと聞かせてくれました。

そんな山越家の朝は、一杯のお味噌汁から始まります。「パンでも甘酒スムージーでも、朝は必ず味噌汁です」

お気に入りは、淡色系の「宮こうじ」と赤色系の「地元(とち)の穀」の合わせ味噌。

「味覚って、人それぞれ違うとは思いますが、青源の味噌は、私が食べておいしいと思える、シンプルにおいしいところが魅力」と山越さん。「良い原料を使って、職人さんたちが丁寧に造っているからだと思います」

話題がお味噌に及ぶと、弾むように語られる言葉の節々に、“青源愛”があふれました。

 

【取材後記】
大手寿司チェーンの味噌汁や大手コンビニのおにぎりに青源の味噌が採用されたり、大手総合スーパーに味噌だれ「餃子の達人」が陳列されたりと、営業面でも数々の足跡を残してきた山越さん。でも「たまたま自分が担当だっただけの話。みんなの努力があってこそです」と、あくまで“青源ワンチーム”を強調していたのが、印象的でした。

大切にしている座右の銘は『人生は近くで見れば悲劇だが、遠くから見れば喜劇である』。青木社長から教えていただいたチャップリンの名言だそうです。「どんなに苦しい時も、笑える日は必ず来る。だから、どんなことにもチャレンジできる、トライできるということ」。ユーモアあふれるお人柄の中に確固たる信念が見えました。

最近の趣味は、プチソロツーリング。県内の道の駅を自由きままに探索しているそうです。もし、道の駅で味噌売り場をチェックしているライダーを見かけたら。それは山越さんかもしれません(^^)

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